2012年 08月 24日
Mさんの思い出 |
私のロンドンでの思い出がこんなにも楽しい物となったのは、QAに依る所が大きい。QAとはQueen Alexandra's Houseの略称で、ロイヤルカレッジの目の前にあるレンガ建ての女子寮である。ロイヤルカレッジの前にあるので、カレッジの生徒も勿論多かったが、女子の学生であれば専攻は問われなかった為、音楽を始め、バレエ、語学、フラワーアレンジメント、旅行業、化学など色々な分野の人がいた。100名の定員に対し約3分の1は日本人。語学を学ぶには良い環境ではなかったけれど、その分ホームシックにはならなかった。
3年間お世話になったQAでは、本当に多くの出会いがあった。私のような長期滞在者もいたが、大体1年の滞在が多かったので、顔と名前が一致しない人のほうが多かったが・・・。そのような中にMさんが現れた。ガーデニングの勉強に来たとは言っていたけれど、明らかに私たちとは年齢層が違う。しかも艶々とした黒いロングヘアで生活臭を全く感じさせず、プライベートも多くを語らないミステリアスな彼女は、最初は近づき難かったがその内にQAの母的存在へとなっていった。
霊感が強い彼女にはQAの歴史のある建物がかなりきつかったらしく、よく色々な人物や動物が皆の背後にいるのを見ていたらしい。人生経験も私たちよりも豊富な為に、沢山の人が彼女のところに相談に行き、また手相にも詳しいと言う事で夜な夜な彼女に手を見せに皆が並んだ。
私は当時、演奏旅行で留守をする事が多く、Mさんとは皆といれば話す程度でそれほど親しくなかった。しかしその少ない会話の中でも常に「あなたは大丈夫」と根拠のない自信と安心感を与えてくれた。その様子に他の人は私の事がお気に入りなのだと噂していた。
Mさんの帰国後、ある時数人の友達が彼女のお家に遊びに行った。すると、リビングの目立つ場所に赤いドレスのフランス人形が。しかもよく見るとヴァイオリンを持っている。冗談のつもりで名前を聞くと「りさちゃんって言うのよ」と・・・。皆、一瞬固まったらしいが本当の話で、ロンドンに戻ってきた友達たちは一斉に興奮しながら笑い話として報告してくれた。正直、その話を聞いたときはぞぞ~っとしたがその後私も帰国時にりさちゃん人形と対面した。
その時から、帰国時にはMさんの家でQA同窓会をやると言うのが常となり、私もQAにいたときよりもはるかに彼女と親しくなっていった。そして折にふれ手紙や食料を送ってくれ、励まし応援してくれた。
そして何よりも支えになってくれたのは父が病気になったときである。ガンの再発がわかり遠いパリで悲嘆にくれていた私に代わり、連絡を受けたその足で明治神宮へ向かい、病気治癒のお祓いを受け父の病室へ向かってくれた。その後も家族のように本当に献身的にサポートしてくれ、精神的にも本当に有り難かった。
その様にMさんに対する信頼は厚く、その存在は本当に大きくなっていった。他の友達の様に密に連絡を取ることはないが、何かあった時に相談したり意見を求めた。また彼女は世の中の情勢、日本の歴史やルーツ、そして世界の歴史などありとあらゆることを本当によく勉強し、本を読み、普通の人が知りえない情報や色々な話を教えてくれた。
しかし春頃、久し振りに彼女にメールをしたが、いつもは直ぐに来る返事が全く来なかった。忙しいのかと思い放っておいたが、何か気にかかり電話した。しかし携帯も家の電話もすでに解約されており、いよいよ不審に思ったがなす術もなかった。私の友達の中で彼女と一番親しかったのは私になっていたし、ご家族の連絡先もわからない。どこかに急に引っ越すと言うタイプでもなく、何ともいえない不安と疑問に包まれていた。
その後母から、ふと目にした新聞広告に、Mさんのデザインした素敵な自宅が売りに出されていると連絡があり益々不審に思い、今回の帰国時に区役所や不動産屋に聞いてみた。しかしプライバシー保護法の為に何も教えては貰えず、結局彼女のお家を訪ね、隣家の方に伺うと急に亡くなったとのことだった。
ああやはりそうだったのかという思いと、突然頼りにしていた方が消えた悲しみ。彼女のご厚意に甘えていただけの関係で何もお返しが出来なかったが、今はただ心からのご冥福をお祈りしたい。
眞紀子さん、本当にどうも有り難うございました。
3年間お世話になったQAでは、本当に多くの出会いがあった。私のような長期滞在者もいたが、大体1年の滞在が多かったので、顔と名前が一致しない人のほうが多かったが・・・。そのような中にMさんが現れた。ガーデニングの勉強に来たとは言っていたけれど、明らかに私たちとは年齢層が違う。しかも艶々とした黒いロングヘアで生活臭を全く感じさせず、プライベートも多くを語らないミステリアスな彼女は、最初は近づき難かったがその内にQAの母的存在へとなっていった。
霊感が強い彼女にはQAの歴史のある建物がかなりきつかったらしく、よく色々な人物や動物が皆の背後にいるのを見ていたらしい。人生経験も私たちよりも豊富な為に、沢山の人が彼女のところに相談に行き、また手相にも詳しいと言う事で夜な夜な彼女に手を見せに皆が並んだ。
私は当時、演奏旅行で留守をする事が多く、Mさんとは皆といれば話す程度でそれほど親しくなかった。しかしその少ない会話の中でも常に「あなたは大丈夫」と根拠のない自信と安心感を与えてくれた。その様子に他の人は私の事がお気に入りなのだと噂していた。
Mさんの帰国後、ある時数人の友達が彼女のお家に遊びに行った。すると、リビングの目立つ場所に赤いドレスのフランス人形が。しかもよく見るとヴァイオリンを持っている。冗談のつもりで名前を聞くと「りさちゃんって言うのよ」と・・・。皆、一瞬固まったらしいが本当の話で、ロンドンに戻ってきた友達たちは一斉に興奮しながら笑い話として報告してくれた。正直、その話を聞いたときはぞぞ~っとしたがその後私も帰国時にりさちゃん人形と対面した。
その時から、帰国時にはMさんの家でQA同窓会をやると言うのが常となり、私もQAにいたときよりもはるかに彼女と親しくなっていった。そして折にふれ手紙や食料を送ってくれ、励まし応援してくれた。
そして何よりも支えになってくれたのは父が病気になったときである。ガンの再発がわかり遠いパリで悲嘆にくれていた私に代わり、連絡を受けたその足で明治神宮へ向かい、病気治癒のお祓いを受け父の病室へ向かってくれた。その後も家族のように本当に献身的にサポートしてくれ、精神的にも本当に有り難かった。
その様にMさんに対する信頼は厚く、その存在は本当に大きくなっていった。他の友達の様に密に連絡を取ることはないが、何かあった時に相談したり意見を求めた。また彼女は世の中の情勢、日本の歴史やルーツ、そして世界の歴史などありとあらゆることを本当によく勉強し、本を読み、普通の人が知りえない情報や色々な話を教えてくれた。
しかし春頃、久し振りに彼女にメールをしたが、いつもは直ぐに来る返事が全く来なかった。忙しいのかと思い放っておいたが、何か気にかかり電話した。しかし携帯も家の電話もすでに解約されており、いよいよ不審に思ったがなす術もなかった。私の友達の中で彼女と一番親しかったのは私になっていたし、ご家族の連絡先もわからない。どこかに急に引っ越すと言うタイプでもなく、何ともいえない不安と疑問に包まれていた。
その後母から、ふと目にした新聞広告に、Mさんのデザインした素敵な自宅が売りに出されていると連絡があり益々不審に思い、今回の帰国時に区役所や不動産屋に聞いてみた。しかしプライバシー保護法の為に何も教えては貰えず、結局彼女のお家を訪ね、隣家の方に伺うと急に亡くなったとのことだった。
ああやはりそうだったのかという思いと、突然頼りにしていた方が消えた悲しみ。彼女のご厚意に甘えていただけの関係で何もお返しが出来なかったが、今はただ心からのご冥福をお祈りしたい。
眞紀子さん、本当にどうも有り難うございました。
by lisa_Oshima
| 2012-08-24 12:11
| エトセトラ